夏休み企画 W氏のイタリア旅行記 総集編 最終回

昨日はあと2回…と書きましたが。全行程2830km。52日間の旅も今日で完結です!『1/6の夢旅人2002』を頭に響かせながら…続きをどうぞ!

最終夜 ふたたび海へ~帰国!

今日は、アックイ テルメからさらに南下して、リグリア海へ出ました。
海は東海岸(アドリア海)以来なので、けっこう久しぶりです。
海に出るまでは山越えになると覚悟していたのですが、思ったほど登りはきつく
ありませんでした。
のどかな風景(写真)が続き、とても走りやすかったです。

山越えも終わり、海まではずっと下りっぱなしです。
そして、海に出た途端、今までの静けさとはうってかわって、町の喧騒に包まれ、その
あまりのギャップに驚きました。
交通量もかなり多く、走るのにかなり神経を使います。しばらく交通量の少ない道を
走っていたので、心の準備がすぐにはできません。
Genovaの西、Savonaという街の近くに出たのですが、このあたりは大きな港で、トラックが非常に多く、かなり怖いです。
港には、写真のような豪華客船も停泊していました。

車に注意しながらしばらく走ると、港のある地域は終わり、
今度は砂浜が現れ、フランスまで続く大リゾート地帯になります。
東海岸の方もかなり規模の大きなリゾートだと思いましたが、こちらは
はっきりいって桁が違います。まさに皆さんの想像する、イタリア、フランスの浜辺のリゾートです。いったい何キロぐらい続いているのか良く分かりません。
写真では分かりにくいかもしれませんが、延々と砂浜が続き、路上には、海水浴客の車が列をなしています。

今日の目的地、Finale Ligureに何とか到着し、早速ホテルを探したのですが、2軒連続で満室でした。
延々と連なる駐車車両を思い出し、また野宿かとちょっとあせりましたが、幸い2軒目のホテルの方に、空きのあるホテルを紹介していただくことができました。
それにしても、平日だというのにこの混雑ぶりはいったいどういうことなのかと不思議に思います。いくらバカンスシーズンだとはいえ、こんなに沢山の人が休みを取れるものなのでしょうか。よく分かりません。
都合の良いことに、紹介していただいたホテルは、バイカー(主にMTBが中心のようです)がよく利用する宿のようで、自転車専用のガレージ(写真)がありました。トレイルランのツアーなどもやっているようです。
ITALY BIKE HOTELSというサイトがあって、このホテルも登録されています。
かなり小さめですが、中庭にプールもあったので、こちらに来て初めて泳いでみました。暑い中を走った後なので、とても気持ちが良かったです。

夕食は、テイクアウトのもので簡単に済ませようと思ったのですが、まわりにあまり店がなかったので、開いていたトラットリアに入ってみました。
トラットリアで食事をするのは初めてです。
リストランテとの違いは・・・
よく分かりません。
海の幸を使ったニョッキなどを食べたのですが、さすがに海辺だけあってなかなかおいしかったです。
写真は、トラットリアの陽気な料理人(オーナー?)と一緒に。
最後にリモンチェッロ(レモンのリキュール)を一杯サービスしてくれました。

今日は、サンレモ音楽祭などで知られるサンレモまで走りました。
海岸は相変わらず続くビーチです。
写真は昼休みのときに撮ったものです(サンレモよりは東です)。

サンレモは、音楽祭が開かれるくらいなので、かなり大きな街かと思っていたのですが、
それほど大きいという感じはしませんでした。
写真は、カジノの建物です。

今日は走らず、サンレモを拠点に帰国の準備です。
自転車での走行は、残すところあと1日だけとなったのですが、帰国便の日程を前倒し
しなくてはなりません。
ホテルから航空会社のカウンターに電話してみたのですが、話し中で全然つながらず、
受付専用のコールセンターは、はじめの自動音声ガイダンスのイタリア語で挫折。
こうなったら空港のカウンターへ直接出向くのが一番ということになりました。
イタリアではまだ電車に乗っていなかったので、電車でフランスのニース(最終目的地です)まで、下見も兼ねて行ってみることにしました。
所要時間は1時間ほどなのですが、イタリア、モナコ、フランスと3ヶ国を走ることになるので、ちょっと得した気分です。
写真は、サンレモ駅の外観です。


サンレモは海の近くまで山が迫っているので、駅は山をくりぬいて作られています。
地下鉄ではありません。


電車の中はこんな感じです。


イタリア、フランス国境で乗換えが必要です(特急などの場合は不要です)。
写真は、イタリアから乗ってきた電車です。


乗り換えた電車には、二階建て車両があったので、乗ってみました。

このような景色が続きます。
国境を越え、フランスの駅で乗ってきた人達は、当然のことながらフランス語をしゃべります。電車の中は一瞬でフランス一色。顔つきもイタリア人とは明らかに違います。
あまりの変化の早さについてゆけません。
国をまたぐ電車ならではのことで、とても面白いです。

ニース駅に到着し、ここからは直通バスで空港へ向かいます。
所要時間は20分ほどです。
すんなり到着するかと思ったのですが、降りる時になって、空港にはターミナル1とターミナル2があることが判明。国内線、国際線という区分ではないようで、どちらで降りたらよいのかよく分かりません。
とりあえずターミナル1で降りて、インフォメーションカウンターで尋ねると、航空会社によって分かれているとのこと。
我々が乗るのはアリタリア航空で、ターミナル2だったので、改めてそちらへ向かいます。
アリタリアのカウンターを見つけて、帰国便の変更手続きをします。
幸い空きがあり、希望通りの変更ができました。
それにしても、今日下見をしておいてよかったとつくづく思いました。
帰国当日に、大きな荷物を抱えてターミナル間を右往左往する羽目にならずにすみました。
写真は、ニース駅の外観です。

空港での用事を済ませ、再びニース駅へ戻ります。
そして、駅前のバスターミナルにできるだけ近いホテルを選んで予約を入れました。
これでニースでの用事も終わったので、電車でサンレモまで帰ります。
あと、残るはお土産の購入だけですが、サンレモにはあまり良いものがなかったので、乗換駅でもある、国境の町Ventimigliaで一度降りて探すことにしました。
古い町だとは聞いていたのですが、実際に降りてみると、活気があってとても感じの良い町でした。
なんとかお土産の調達も済み、サンレモの宿へ帰る頃にはすでに夕方でした。
なんだか走っている日よりも忙しい一日でした。
写真は、ニース駅のホームの様子です。

今日はいよいよ走行最終日です。
まずはフランスへ入り、途中モナコ公国を通って、再びフランスのニースを目指します。
写真はフランス国境の様子です。
検問はありません。

この旅行最後の7ヶ国目、モナコ公国へ突入です。
国境がうまくみつからず、いつの間にかモナコへ入っていました。
ただ素通りするのもなんなので、記念にお昼ご飯を食べました。

写真をもう一枚。

出る時は国境をみつけられました。

昨日は電車で訪れたニースへ、今度は自転車で改めて入ります。
写真は、ニースの街角の様子です。
とてもきれいで雰囲気の良い街です。

今回の旅行のゴール地点、ニース駅へ無事辿り着きました!
明日27日の飛行機で帰国予定です。

6月28日、全てのの旅程を終えて、無事に帰国することができました。
総走行距離2,830km、52日間の旅行でした。
途中、小さなものから大きなものまでいろいろとトラブルもありましたが、こうして無事に帰国できたのは、あしびなさんをはじめとして、ひとえに沢山の方のサポートのおかげだと思います。
本当にありがとうございました。
2ヶ月近く走ってみて、イタリアという国の良い所(素晴らしい文化遺産やおいしいジェラートなどなど)もそうでないところ(隣国との格差など)もいろいろと垣間見ることができた気がします。
自転車という手段を選んだことで苦労もありましたが、それを補って余りあるほど、得られたものも多かった旅でした。
最後に、期間中このサイトをご覧いただいていた皆さん、長い間お付き合いいただきどうもありがとうございました。
Grazie mille !
Arrivederci !
母よりのご挨拶
頭より体の方が先に反応してしまう、まったくアバウトな母親と、石橋をたたいて尚、まだ他に方法があるのでは・・・と考えているような息子との52日間の旅でした。
パンク3回、スポーク折れ2回、クイックレリーズレバー破損等、自転車トラブルはすべて私!(テクニックの相違?)自転車の奥深さも知りました。
強烈な太陽とともに、お世話になった方々のお顔が浮かびます(サイクルジャージに身を包んだイタリアのサイクリストのおじ様方もステキでした!)。感謝、感謝の思いでいっぱいです。

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以上で『W氏の自転車旅行記 総集編』 完結です。過去記事を写しているとはいえ改めて読み直すと旅行記もそうなのですがオープン当初のころを思い出しました。 お店をあけて8年目くらいになりますが、とりあえずあと2年の創業10年くらいまではがんばりたいと思います。w
そういえばW氏、20代でアメリカ大陸をツーリング。30代ヨーロッパ大陸をツーリング。なのでお仕事の立場上無理だとは思いますが…40代はアフリカ大陸…はさすがに厳しいと思いますので『アジア』か『オーストラリア』あたりのツーリング日記を勝手に期待しています。w









夏休み企画 W氏のイタリア旅行記 総集編7

昨日は台風一過ですごい猛暑でしたね…。昨日はこどもてんちょうが見たいと言っていた映画『アイカツスターズ』に付き合ったあとクーラーのきいた家で昼寝と外に出ない一日を過ごしました。w
『日記』もイタリアを縦断したのでもう終わりかと思いましたが…改めて記事数を見るとまだまだ2日間ぐらいは余裕でできるくらいの記事数がありました(^^;)。 それでは、続きをどうぞ…

第10家 ちょっとだけスイスへ~アックイ テルメで温泉

イタリアのコモから国境を越えて、スイスのChiassoという町へ入ります。
イタリア、スイス間には検問があります。
検問とはいっても、スタンプもなしで(これが後でちょっとだけ問題になります)、ほとんどフリーパスでした。

スイスに入って驚いたのがイタリアとの違いの大きさです。
国境をまたいだだけなのに、建物も通りも整然と整っています。イタリアの、良くも悪くも雑然とした感じが全くありません。ゴミもほとんど落ちておらず、清掃が行き届いています。
BARに入って食事をしたのですが、そもそもこの時間(午後1時半から4時ぐらい)はイタリアではお店がほとんど閉まってしまいます。食事ができるだけでも、やはり違う国なんだな、と感じました。
そして、お店のメニューの金額表示もユーロではありませんでした(ユーロを使うことはできました)。
スイスの町で無事に食事もできたので、イタリアへ戻ります。
しかし、通ったのがかなりマイナーな道で、国境の検問が(財務警察の)国境警備隊の管轄だったのが問題でした。
パスポートを見せた際、スイスのスタンプが押されていなかったため、いろいろ質問された挙句、ここは通せないから別の検問所を通ってくれ、と言われてしまいました。
2kmほど離れたところにある別の検問所は警察の管轄なので、そちらなら問題ないだろうとのこと。
結局、少し余計に走らされましたが、警察の検問はすんなりと通れ、無事イタリアへ戻れました。
写真は、スイスのChiassoの町並みです。

スイス国境を目指して北上した際は、一度迂回したミラノを訪れました。
やはり大都市だけあって、町へ入るのに苦労しましたが、何とかホテルまで辿り着きました。
一休みして、早速観光へ出かけます。
写真は、ミラノの中心にある教会で、一番の名所です(前を覆っている看板がちょっと邪魔です)。

教会前の広場を、教会側から見た様子です。

ミラノ中心部の町並みです。

ミラノの中央駅です。
ローマと違って、どういうわけかあまり活気がないように見えました。

今日は、ミラノを発って、少しだけ南のBinascoという町まで走りました。
写真は、ミラノを流れる運河の様子です。

今日は、何十キロにもわたって続く水田の中をひたすら南下し、
Alessandriaという街まで走りました。
道も平らでまっすぐです。
写真だけ見るとイタリアなんだかどこなんだか分かりません。

ちょうどAlessandriaの町では、馬術の競技会(だと思います)が行われていました。
会場はなんと町のほぼ中心にある広場!
こんなところに会場を作ってしまうあたり、さすがイタリアだと思いました。
写真は、競技の様子です。

会場はこんな感じです。

今日は、アックイ テルメという町まで走りました。
ここは、古代ローマ時代からの温泉地です。
宿に荷物を置いて早速温泉へ向かいます。
温泉とはいっても、日本のものとは違い、療養の性格が強いものです。
見た目は完全に普通の屋内プールで、お湯の温度も人肌程度。
当然、水着と水泳キャップ着用です。
プールの深さはちょっと深めなので、泳いだり、浮き具につかまってぷかぷかと
浮いたりしてしばらくぼーっとしていました。
なかなか気持ちよかったです。
母の足にも良かったのではないかと思います。
写真は、町の中心にある、温泉の湧き出し口です。お湯の温度はなんと約75度も
あるそうです。

アウグストゥス帝時代のローマ水道遺跡が残っています。

温泉施設のある建物(ここだけではありません)。
入浴だけでなく、エステなど多彩なメニューがあります。

冷たい源泉もあり(75度の方とは別物だと思います。)、汲んで飲むことができます。
しょっぱくて、温泉卵のような味です。
近くに、この冷泉を使った屋外プールもあって、とてもにぎわっていました。









夏休み企画 W氏のイタリア旅行記 総集編5

第五弾




第八夜 地獄のロード~ローマ観光

出発から少しの間は多少てこずりましたが、なんとかナポリの迂回を完了。
海岸線に出てからは一本道で、もう道に迷う心配はありません。まっ平らな道をひたすら走るだけです。
今日の目的地Gaetaは、古い城壁に囲まれた、海沿いの美しい町、のはずでした。
確かにその通りではあったのですが、実際は、古い城壁”も”あるビーチリゾートでした。
3時ごろには余裕で辿り着き、ホテルを探したのですが、ビーチには人があふれ、何軒かあるホテルはすべて満室でした。
仕方がないので、少し離れた次の町まで走ることにしました。
ところが、次の町も美しいービーチが続き、やはり人だらけ、ホテルもすべて満室でした。
やむを得ず、さらに次の街まで走ります。
しかし、ここも状況は全く同じ、むしろ悪くなっているような気がします。町の外のビーチ沿いの道にも路上駐車の車が延々と並んでいます。
今日は月曜日、いくらイタリアでも、平日に休める人がこんなに沢山いるのはおかしいな、と思い、次にたずねたホテルで聞いてみると、やはり祝日とのことでした。しかも、今シーズン最初の大型連休で、すでに土曜日から、部屋は予約で埋まっているそうです。明日以降なら部屋はあるそうですが、それでは意味がありません。
キャンプ場まであたりましたが、やはり全てダメ。
時間もだんだん遅くなり、走行距離も増えてきて、厳しい状況になりつつありましたが、先に進むしかありません。時間的には次の町が限界です。祈るような気持ちで、先に進みます。
走りに走って、7時過ぎにTerracinaという町に着きました。
しかし、町に入った瞬間、これはダメだ、と感じました。路上は人でごった返し、車道も沢山の車で大渋滞しています。
ほとんどあきらめムードで、一応ホテルを回ってみましたが、案の定全て満室。
野宿決定です。
だんだん暗くなってきたので覚悟を決めて、最後の手段、警察へ向かいます。
当直の警官が、いろいろ親切に教えてくれましたが、警察署の前で野宿することだけは、どうしても許可してもらえませんでした。
あてが外れて万策尽き、仕方なく、できるだけ安全そうなビーチの前のベンチに陣取ります。今夜はここで野宿です。目立たないように自転車を物陰に置きます。
幸い、完全な観光地なので、治安は悪くなさそうで、浮浪者や物乞いの類の姿はありません。
それでも、時折若者が海を見にやって来るので、なかなか落ち着きません。万が一を考えて、交代で眠ります。
うとうとしながも完全には眠れずに時間が過ぎ、ようやくまわりから人影が無くなったのが、深夜の2時過ぎでした。
振り返ってみると、走行距離じつに130km!最長記録更新です。
ある意味「水曜どうでしょう」のヨーロッパ編を超えました(ご存じない方、ごめんなさい)。全くうれしくないですが。
※ちなみに、後で調べて分かったのですが、イタリアの共和国建国記念日の祝日だったようです。情報収集を怠ってはダメだということですね。6月中はもう祝日はないので、今後は安心です。
写真は、夜明かししたベンチのすぐ前のビーチです。

昼間の暑さがうそのような冷え込みで、ふるえながら、朝の5時半頃に起きました。
ここに留まっていても仕方がないので、意を決して走り出すことにします。
本来は2日かけて走るはずだったローマまでの道のりですが、昨日かなりの距離を走ってしまったために、今日1日で辿り着けそうです。
昨日は、走行距離は長かったですが、平坦な道が多かったので、母にそんなに疲れが残っていなかったのは幸いでした。
朝早くからやっているBARをみつけて朝食をとり、7時過ぎには走り出しました。
写真は、早朝のTerracinaのメインストリート。昨日の賑わいが夢のようです。

今日の道も平坦基調です。
せっかくなので、有名なアッピア街道を走ってみます。
雨が時折ぱらつく中、夕方4時頃、無事にローマへ到着しました。
写真は、「アッピア街道の松」です。
ローマまで100kmを切っています。

ローマに入って、まずはツーリストインフォメーションへ行くため、テルミニ駅へ。
とても大きな駅で、多くの人で混雑しています。やはり今まで通ってきた町とは規模が違います。
早速インフォメーションカウンターへ行ったのですが、なんとコンピューターがダウンしていて、ホテルの検索ができないとのこと。さすがです。
ローマにはものすごい数のホテルがあるので、足で探すのはなかなか大変です。
そこで、ネットカフェへ飛び込み、調べます。条件は、そこそこ安くて、駅から近く(もうあまり動きたくなかったので)、インターネットに接続できること。
とりあえず良さそうなホテルをみつくろって、行ってみます。
写真はテルミニ駅の構内です。

今回の旅行3カ国目となるバチカン市国へ入国です。
といってもほんとに入っただけです。

ローマ観光の様子の何枚か。
どこも定番ばかりですが、普通と少し違うのは、自転車で回っているということです。
ローマの町は石畳のところが結構あり、さらに一方通行が多いので、実は結構走りにくいです。それでも徒歩と比べると断然効率よく名所を回れます。交通費もかからないのでやはり良いです。それと、各観光スポット間の位置関係をしっかり把握できるのもメリットだと思います。
写真は、テヴェレ川のすぐそばまで下りてみたところです。一応自転車レーンらしき線が引いてあるのですが、石畳で走りにくいです。

コロッセオの写真をもう一枚。

ヴェネツィア広場です。

トレヴィの泉です。
以前訪れた際に投げたコインが効いたようで、また来ることができました。
ちなみに今回はコインは投げていません。

スペイン広場です。残念ながら、上のほうは工事中でした。
それにしてもすごい人の数です。

母が単調な食事にかなり辟易していたので、夕食は中華料理を食べることになりました。
ホテルのすぐ近くの食堂です。このあたりは中国人のコミュニティーがあり、ここは完全に地元の人用の食堂だと思います。お客は全員中国人、誰もが大声で話をしていて、かなりの騒がしさです。ここがローマだというのを忘れそうになります。
駅のすぐ裏にもかかわらず、観光客は全くいません。
注文の仕方も良く分かりませんでしたが、何とか頼み、さっそく食べてみました。
すると、これがなかなかうまい!
ボリュームもたっぷりです。
久しぶりに白いご飯を食べられた母は大満足でした。
写真は出てきた料理の様子です。この後もう一品来ました。
満腹でホテルに帰って休みました。
それにしても、屋根のある部屋のベッドで寝ることができるのは本当に幸せなことです。
一昨日の状況と比べると、まさに天国のようです。

居心地が良いので、ローマにもう一泊することにしました。
午前中はゆっくり休み、午後からゆっくり観光です。
今日は歩いてみて回ることにしました。
写真はフォロ ロマーノです。

映画「ローマの休日」でおなじみ、「真実の口」です。
ここは日本人観光客の割合が、他の場所と比べて圧倒的に多くて面白かったです。





夏休み企画 W氏のイタリア旅行記 総集編4

第4弾です。続きをどうぞ~




第七夜 こんな感じで走ってました(2008年5月30日)~ ナポリ迂回大作戦

Nさんと母、走行中の図。

こんな風景の中を、Nさんと一緒に走りました。
更新した記事を振り返って良く考えると、Nさんの写真ばかりのような気もするので(笑)、風景写真を何枚かどうぞ。
景色がとても美しく、本当に素晴らしいところでした。

アマルフィという町の教会です。世界遺産です。

海の色がエメラルドグリーンです。

ポジターノという町の様子。

朝8時の電車で、Nさんは帰国しました。
こちらの駅には改札というものが無いので、誰でもホームまで入ってゆくことができます

電車の中はこんな感じです。
それにしても、Nさんが帰ってしまったあとは、なんだか祭りが終わった後のような気分になりました。
Nさん、一緒に走れてとても楽しかったです。ありがとうございました。

日本でも多少報道(2008年当時)されていると思いますが、今ナポリは、処分場の不足などで、ゴミの回収が長い間滞るという、かなり深刻な問題の渦中にあります。
街角に、回収されないゴミが山のように積み上がっている映像が、こちらでは毎日のように報道されています。処分場予定地では、建設に反対する地元住民が警察と衝突する事件も起き、人々の不満や苛立ちもかなり高まっています。観光客も激減しているようです。
気温も高くなり、悪臭や、衛生上の懸念も日々増しています。
当初の計画では、当然のようにナポリを通る予定だったのですが、この状況ではリスクが大きいと判断し、ナポリを大きく迂回して避けるルートに変更しました。美しい町として有名なナポリだけに、残念ですが、致し方ありません。
しかし、この迂回が一筋縄ではいきませんでした。
Nさんを見送った後、こちらも早速出発です。
ルートを変えた関係で、当初は通る予定の無かったポンペイへ到着。
この町は、あまり大きくなく、雰囲気もあまり良くないように感じたのですが、ポンペイの遺跡の周りは、うってかわって沢山の観光客でにぎわう一大観光地になっていました。
写真はポンペイの中心にある美しい教会です。

ポンペイの遺跡を見るかどうかで悩んだのですが、2人ともそんなに気乗りしなかったので、柵の外からちょっと様子を眺めてよしとすることにしました。
写真は柵の外から写したもの。ほとんど写ってなくてすみません。中はかなり広いようです。

ポンペイの町を滅ぼす噴火を起こしたヴェスヴィオ山です。

ヴェスヴィオ山を回り込むようにして、ナポリの中心部をかなり大きく迂回したのですが、写真のような場面を何回か目にしました。これでも報道されているものよりは、かなりおとなしい感じです。ナポリのゴミ問題、かなり深刻なのではないでしょうか。
ナポリ駅で乗換えをした西上さんは、少なくとも駅は何の問題も無かった、と言っていましたが。

地域の中心都市であるナポリを迂回するには、どうしても幹線道路を外れ、小さな町を繋いで行くルートにならざるを得ません。
しかし、幹線から外れると、途端に標識が少なくなり、本当に走るのが難しくなります。
覚悟はしていましたが、想像以上でした。
仕方がないので、判断に迷ったら地元の人に聞く、というのを繰り返し、何とか進んでゆきます。
なんとか、計画の8割方を走り切りましたが、時間もだんだん無くなってきて、少しあせりながら路上で地図をながめていると、地元のおじいさんが話しかけてきてくれました。
早速道を聞いてみたのですが、いかんせん言葉が通じないので、なかなかうまく行きません。
そのうち知り合いが一人、二人と集まってきて、教え方について議論を始めました。そのうちの一人の方が多少英語を話せたので、なんとか話がまとまり始めました。
そして出してくれた結論がなんと、車で分かりやすいところまで送ってやるから後ろをついて来い、というものでした!
まさかイタリアで、車の先導付きで自転車に乗ることになるとは思ってもみませんでした。
さっそくおじいさんが車を取ってきてくれたので、後ろをついて走ります。
かなりゆっくり運転してくれたのですが、さすがに母はかなり疲れていました。
もうここから先は一本道、というところまで送っていただいたので、おじいさんにお礼を言って別れ、あとはひたすら走ります。
結局、時間的に予定していた町まで行くのは難しくなったので、ひとつ手前の町を目指します。そして、何とか暗くなる前に到着することができました。
写真は、苦労してたどり着いた町、Aversaの駅です。
かなり大変な一日でしたが、まさか次の日にさらに大変な事件が待ち受けているとは、この時はまだ知る由もありませんでした・・・。







夏休み企画 W氏のイタリア旅行記 総集編3

第三弾です。続きをどうぞ~




第六夜 本土走行一日~宴会部長合流

レッジョ カラブリアを出発し、海岸線の道を走ります。
しかし、イタリアではこれが曲者で、海に突き出した部分がある度に、その一番高いところまで登らされるのです。そのひとつひとつがちょっとした山越え並みのキツさで、母は休み休みでやっと登っている感じです。
写真のところはまだまだ緩やかなところです。
少し海から離れて、ミレート?という小さな町(の少し手前)に泊まりました。

今日は、今まで獲得してきた標高を一気に吐き出すようにひたすら下りでした。一体何キロ下ったのかよくわかりません。
下りきったあとは、ひたすら平らな海岸線の道で、かなり楽が出来ました。
写真は、ヤギ飼いのおじさん追われて道路に出てきたヤギ達で、道がちょっとした渋滞になったところです。

昨日はScaleaという海辺の町まで走りました。
夏は海水浴客で賑わいそうなリゾート地です。
写真は道中のものです。

今日は、29日に合流予定の自転車仲間、Nさんとの連絡や、日程の調整のため、走らずに同じホテルにもう一泊。
日本にいるNさんと無事に打ち合わせも終わり、食事です。
町のスーパーで買ってきたラザーニェと鳥のローストです。
ジロの中継を見ながら食べられるのがうれしいです。

昨日泊まった安ホテル(一人あたり3700円弱)の主人に勧められるまま、付属のリストランテで夕食。
かなりの峠道を走った後でお腹が減っていたので、勢いよく食べはじめたのですが、とにかく量が多い!
結局食べきれずノックアウト。惨敗です。
量を減らしてくれという、母のイタリア語、全く通じず。
写真はパスタ。名前は聞きましたが、忘れました。なかなか美味しかったです。自家製のワインも良かったです。
次の機会(もしあれば)は、もっとうまく注文したいです。

今日も昨日に負けず劣らずの峠道。僕でも登り応えのある坂でした。母は、フラフラになりながら、それでもしっかり走りきり、再び海岸線へ到達。
明日にはNさんとの待ち合わせ予定の街へ着けそうです。
写真は、山へ向かっているところです。前方に見える山を登って行きました。

宴会部長到着で、がぜん盛り上がってお送りします!
とりあえず、イタリアでの無事再会を祝して乾杯!
外は明るいですが、これでも夜の7時過ぎです。

走り始め、間もなくイタリア美人発見。
さすが部長、いつにないペダリングの速さで彼女に接近。
全く会話も分かってないはずのに、写真撮影までこぎつけました。
そのあとほっぺにキスされ、超ご満悦の様子でした!?

こう見えてもスペシャのフルカーボンを乗りこなしています。なかなか軽快なんです。

やはり夜の市内での夕食に強い宴会部長。少しスペイン語ができるようで店員のキューバ女性と会話し写真撮影。明日には部長はローマに戻り、日曜日にチャイナエアラインで台北経由で帰国します。

とうとうやってきました。ローマです!
Nさんと別れてから、とにかくいろいろなことがありすぎて、まともに更新ができませんでした。すみません。
あまりにいろいろあったので、これから時系列で一気に更新していきたいと思います。
とりあえず、無事ローマに到着したというご報告だけ。
写真は、ご存知コロッセオです。







夏休み企画 W氏のイタリア旅行記 総集編2

総集編2です。続きをどうぞ




第五夜 いろいろありました…

シチリア島はかなり坂道が多く、母が疲れぎみなので、今日は予定を短縮して、メッシーナへ。
かなり大きな街で、路面電車も走っています。
写真はホテルからの夜景です(見えているのがどこの街かは不明)。

とてもめまぐるしい一日でした。
詳しくはまた近いうちにまとめて報告します。
とりあえず、写真は、カターニャという街(地下鉄も走っている大都市です)のホテル(オテル) ヴァレンティノの玄関。
広場に面して扉だけがあり、ぱっと見はホテルだとは分かりにくいです。
かなり古くて、趣きのある作りでした。

母が誤って自転車を倒してしまい、その拍子になんとスポークが折れてしまいました!
慌てて自転車屋へ。
予定を変更してもう一泊し、翌朝には無事直してもらうことが出来ました。
写真は、その自転車屋さんです。感謝!

カターニャからさらに南下して、シラクサという街へ。
写真はシラクサの旧市街にあるアポロ神殿跡です。

マルタ共和国へ向かう船便の関係で、シラクサにもう一泊。
写真は、シラクサ駅の様子です(電車に乗るわけではありません)。

堅牢な防壁に囲まれた街の様子です。
歴史の荒波に翻弄される中で育まれた、独自の建築様式の建物は、どこから見ても絵になります。
ここはまさに一大観光地という感じで、見所も多く、とても気に入りました。
そして何より助かるのが、英語が通じること!
イギリスの統治が100年ほど続いた影響です。
道路が左側通行なのも、イタリアとは全く違う国なんだと実感させてくれます。
街以外にも、古代遺跡など観光スポットがあり、まだまだ見足りない感じですが、今回はひとまず出発します。
是非また訪れたいと思います。
さて、これからはいよいよイタリア本土に上陸です!

マルタ共和国を朝5時の船(この時間しかない)でカターニャへ向けて出発。
3時間かけて到着し、今度はすぐに高速バスで1時間半かけてメッシーナへ。ここから船でイタリア本土へ渡れます。息つく間もなく、乗船し、20分ほどでとうとうイタリア本土のレッジョ カラブリアへ無事到着!
結局、出発から9時間あまりの大移動でした。

港の様子です。

イタリア本土へ向かうために自転車を分解して輪行袋に入れたのですが、その時に、母の自転車の前輪のクイックリリースのレバーが取れかかっているのを発見!
通常はまず壊れることのない部分だけに、どうして壊れたのかとても謎です。いつから壊れていたのかも不明・・・。
レッジョ カラブリアへ着いて、ホテルを見つけた後、あわてて自転車屋さんを探し、無事部品を交換してもらうことができました。
写真はそのときの様子です。

数日前から変だなとは思っていたのですが、風邪を引いてしまったらしく、熱が出てしまいました。やむを得ず今日はホテルで静養することに。アメリカでもそうだったのですが、ツーリング中に体調を壊すのは、決まって数日間走ってないときなんだよなぁ。やっぱり毎日体を動かすのが健康に一番良いということなんでしょう。母にうつらないのを願うばかり。
まあ、そのおかげといっては何ですが、部屋でジロの中継を見ることができました(テレビを直接写したのであまりうまく写っていません)。








夏休み企画 W氏のイタリア旅行記 総集編1

昨日の『栄村』の記事で若干頭が疲れてしまったため、過去記事でお茶を濁したいと思います。w

最近では聞かれなくなりましたがブログ記事のカテゴリー内にある『イタリア自転車旅行記』と言うのがありまして、お店のオープンとほぼ同時期に、このお店のブログを作成してもらった人でもあり、高校時代からの友人でもあり、元職場の同僚でもあるW氏が『W氏のお母様』と二人でイタリアを縦断した記録です。普通に考えるとW氏がイタリアに行くのに『お母様』が面白そうなので付いていったという感じかと思いますが、これが実は逆で『W氏のお母様』が『イタリア縦断する!』と言い始め、それにW氏が付き合ったという話でございます。w 実際にお会いしてもパワフルで素敵なお母様です。最初は2008のジロのあたりまで… 写真が結構載っていますが選手名とか機材とかが懐かしい…




第一夜 あしびなにて

店主はお仕事中

イタリア日記のテスト。携帯電話からの投稿です。
日本でのテストはOK!いよいよ明日から更新となります。イタリアでの通信テストは行っていないので後は現地についてからのお楽しみです。

第二夜 イタリア到着


夜の11時45分、ようやくシチリア島、パレルモのホテルに無事到着!
写真は諸事情で成田空港でのものです。
なんだか前途多な旅になりそうな予感。すんなりとは行かなそうです。

パレルモの朝
パレルモのホテルからの眺めです。

ジロ・デ・イタリア
イタリア最大の自転車レースにして、ツール・ド・フランスなどと並ぶ三大ツールのひとつ、ジロ・デ・イタリア。いよいよ明日からです!


選手発見
バルロワールドの選手を発見!

第三夜 着々と

ジロの準備が進んでいます。

パレルモの町
重々しい町並みです。

第四夜 ジロ・デ・イタリア

ウォーミングアップするミルラムのエリック ザベル

ちょっとマニアな方向けのネタ。
アスタナのバイク(TREK)はコンポーネントがスラムのREDなのですが、
コンタドール(去年のツール・ド・フランスの覇者)のバイクだけ、チェーンリングが
シマノのデュラエースに換装されていました。

初日はチームタイムトライアルでしたが、
優勝はスリップストリーム!

個人総合トップの証し、ピンクのジャージ、「マリア ローザ」は
クリスチャン バンデベルデの元へ。
人生初のジロ・デ・イタリア観戦、最高でした!

スタート地点の街の、数キロ先の路上で観ることが出来ました。
さて、勝負の行方は?

ジロ・デ・イタリア、3日目も追いかけます!
今日はゴールするところを観るつもりでしたが、道のりがとても厳しく、
予想外に時間がかかってしまい、残念ながら間に合わず。
それでも、なんとかゴール少し手前の地点で、観戦することができました。

表彰式の様子は、遠すぎてうまく写せなかったので、ゴール地点の
にぎわいっぷりをご覧ください!
シチリア島の北東部、ミラッツォという街です。








無事帰国しました!

6月28日、全てのの旅程を終えて、無事に帰国することができました。
総走行距離2,830km、52日間の旅行でした。
途中、小さなものから大きなものまでいろいろとトラブルもありましたが、こうして無事に帰国できたのは、あしびなさんをはじめとして、ひとえに沢山の方のサポートのおかげだと思います。
本当にありがとうございました。
2ヶ月近く走ってみて、イタリアという国の良い所(素晴らしい文化遺産やおいしいジェラートなどなど)もそうでないところ(隣国との格差など)もいろいろと垣間見ることができた気がします。
自転車という手段を選んだことで苦労もありましたが、それを補って余りあるほど、得られたものも多かった旅でした。
最後に、期間中このサイトをご覧いただいていた皆さん、長い間お付き合いいただきどうもありがとうございました。
Grazie mille !
Arrivederci !
母よりのご挨拶
頭より体の方が先に反応してしまう、まったくアバウトな母親と、石橋をたたいて尚、まだ他に方法があるのでは・・・と考えているような息子との52日間の旅でした。
パンク3回、スポーク折れ2回、クイックレリーズレバー破損等、自転車トラブルはすべて私!(テクニックの相違?)自転車の奥深さも知りました。
強烈な太陽とともに、お世話になった方々のお顔が浮かびます(サイクルジャージに身を包んだイタリアのサイクリストのおじ様方もステキでした!)。感謝、感謝の思いでいっぱいです。